通用門から構内に入ると人も車もまったく見当たらなかった。資料館の中もとても静かく本を開ける音まで聞こえてきます。壁も床もべージュ色で落ち着き、ぼやっとした照明なのでまるで海面一メートル下にいるような感じです。
カウンターに置いてある利用案内には「閲覧室内で峡鉛筆をご使用下さい」と書いてあります。これは貴重な資料が多いからです。
図書資料は日本と東洋の美術歴果考古学関係が約一〇万点。他の図書館とちがうのは写真があることです。
成田空港に関する詳細な案内が成されている。
通勤用車両には各扉の戸袋部分、スカイライナー用AE100形は各座席テーブル部分に成田空港を発着する各航空会社の一覧表が掲示されている。
成田空港は航空会社などによって旅客ターミナルが異なり、
第2旅客ターミナル、第1旅客ターミナルは、それぞれ空港第2ビル駅、
成田空港駅と下車駅が違うため、混乱を防ぐために貼付されたものである。
現在使用されている一覧表は2006年6月 2日の成田空港第1旅客ターミナル南ウイングリニューアルオープン時に合わせたもので、それまでの航空会社を羅列したものではなく「スターアライアンス」「ワンワールド」「スカイチーム」「ノンアライアンス」「国内線」と大きく5つに分けて並べているのが大きな特徴である。またUSエアウェイズのようにコードシェア便のみで自社機が実際に成田に飛来しない航空会社が記載されていたり、2006年1月13日を以って成田 - ロサンゼルス - サンパウロ - リオデジャネイロ路線(旅客便)から撤退したヴァリグ・ブラジル航空も「現在運休中」として記載している 。
最近では航空会社も大変ですからね。運休するところも増えているんでしょうね。
株式会社オリエンタルランド(Oriental Land Co.,Ltd.、略称:OLC)は、米国のウォルト・ディズニー・カンパニーとライセンス契約により東京ディズニーランド (TDL)、東京ディズニーシー (TDS) を中心とする東京ディズニーリゾート (TDR) を経営・運営する事業持株会社の基幹企業である。なおディズニー関連の著作権や商標権ビジネスはウォルト・ディズニー・ジャパンが担当しており、オリエンタルランドは東京ディズニーリゾートの経営・運営のみ担当している。
以前はほとんどの業務を自社で行っていたが、現在では事業の効率化のため、
パーク運営以外の運営に関わる業務を事業子会社に分社化しており、
現在はパーク運営と同時にTDR関連事業、
及びその他の事業を行うグループ各社を統括する事業持株会社となっている。
オリエンタルランド設立時から京成電鉄と三井不動産が大株主となっており、
社外取締役なども多い。また、千葉県なども大株主である。
そのため第三セクター企業と呼ばれることがあるが、公共団体の出資比率は3.96%であり、
第三セクター企業とまでは言い難い。
ディズニー関係も実は京成電鉄グループ。これは知らなかった。
京成パンダ(けいせいパンダ)は、京成電鉄が発行するクレジットカード「京成カード」のマスコットキャラクターである。
PASMOの導入に合わせて発行を始めた、
同社のクレジットカード「京成カード」の宣伝役として登場した。
パンダ星の王子という設定。
変わらない表情、細い目、パンダらしからぬ唇、マント(空も飛べる)が特徴である。
また、京成線車内の「ドアにご注意」ステッカーにも京成パンダが登場し、ドア戸袋に手と耳を挟まれている京成パンダが描かれているほか、2009年5月から11月30日まで「京成パンダ号」と称したラッピング電車(京成3000形電車を使用)が運行されている。
京成電鉄のマスコットキャラクター。
かわいいかどうかは...ちょっとビミョーな感じもします。
京成電鉄では、『京成らいん』という広報小冊子を毎月発行しており、
京成電鉄各路線のすべての駅において専用スタンドに置かれている。
1951年「京成文化」という題名で創刊。その後「京成ライン」を経て「京成らいん」と改題。
当初は有料で販売していたが、現在は無料配布している。
2008年2・3月号で通巻第600号を数えている。沿線案内や京成グループ各社のPRだけではなく、
京成沿線にゆかりのある有名人・文化人などのインタビューコーナーもある。
現在では京成電鉄ホームページからも最新号およびバックナンバー(ただし過去7号まで)をFLASH形式で閲覧することができる。
ちなみに登場した有名人は、
猫ひろしさんやにしおかすみこさんなど。
また、毎号さまざまな企画があって読み応えもあります。
経営危機に陥った1970年代後半に、運輸省(現在の国土交通省)出身の佐藤光夫が社長に、
日本興業銀行出身の村田倉夫が副社長に就任し、
それ以来ごく最近まで運輸省のOBや銀行出身者が経営に参画し、
事実上の国家管理・銀行管理となっていた(厳密には国家管理ではない)。
これは、不動産投資の失敗や石油ショック後の不況、成田空港関連の先行投資負担(及び開港の遅れによる損失)が重なって破綻寸前に追い込まれたためである。
上野の京成百貨店が撤退したことや谷津遊園を閉園したのもこの影響である。
なお、現在は経営再建に成功している。
官僚や役所とつながっていると、
癒着とかって言われますけどね、今は。
昔はそんなにうるさくなかったように思います。
京成電鉄では行商の人のために「行商専用車」を運転している。
かつては専用列車が数往復していて、一部に押上発着もあったが、現在は芝山千代田発京成上野行普通列車(第736列車)のみの運行となっている。
専用車は6両編成の最後尾の1両が充てられ、この車両には一般の旅客は乗車できない。
ただし、稀に行商組合で定められた休日のみ当該時刻の列車であっても一般客に開放される。
運用は6両固定すべてが入り、最新の3000形も「行商専用車」の札を横窓に下げ、5両目と6両目の間の貫通扉にも札を下げている(同様の目的を持った列車としては、近畿日本鉄道で鮮魚の行商人専用に列車を貸し切っている鮮魚列車が存在する)。
女性専用車とかは普通にありますが、
行商専用車というのもあるのですね。ちょっと独特な感じです。
戦後、沿線の下総台地にあった陸軍施設が軍隊解散とともに民間施設に転用された。中でも千葉・津田沼には鉄道連隊が設置され、演習線が津田沼を起点に千葉・松戸に延びていた。この演習線跡地に目を付けた京成電鉄は下総電鉄を設立して、連合軍総司令部 (GHQ)・運輸省への払い下げ交渉を開始した。西武鉄道との激しい競合の末に1946年3月に転用許可を、8月には路線免許を獲得。10月には新京成電鉄(下総電鉄を改称)を創立して新線開業を押し進めることとなった。
また、交通統制が緩んだこの時期に東京の電鉄各社は都心延伸の免許申請を行った。しかし、電鉄各社や営団、東京都との利害が輻輳し、京成でも1950年8月に押上 - 有楽町間の免許申請を行ったものの、1957年6月運輸省の行政指導で「地下鉄網の建設・運営は『営団』『東京都』が担当」「各電鉄は地下鉄に相互乗り入れ運転」の方針が決定される。京成電鉄は京浜急行電鉄とともに東京都が担任する1号線(現・浅草線)に相互乗り入れすることとなったが、京成 - 京浜急行では軌間の違い(京成1372mm/京浜急行1435mm)が最大の問題となった。
この時期はまだまだ直通運転とか相互乗り入れが始まったばかりだからなぁ。
正式名称に自社名を冠する駅名(京成○○)の数は鉄道会社の中でも多い。
以下列挙すると、上野、関屋、高砂、小岩、八幡、中山、西船、船橋、津田沼、大久保、大和田、臼井、佐倉、酒々井、成田(以上本線)、曳舟、立石(以上押上線)、金町(金町線)、幕張本郷、幕張、稲毛、千葉(以上千葉線)。
京成上野、京成船橋、京成成田といったようにスカイライナー停車駅でも、半数は「京成○○」の正式駅名である。
・・・たしかに「京成」ってつく駅名多かったかも。
宗吾参道駅近くに京成電鉄研修所があり、乗務員の養成などの研修を行っている。自社の電車運転士の教習を行うほか、有料で他社の電車運転士の養成も受託しており、新京成電鉄や北総鉄道など京成グループの運転士も養成している。従って京成グループの運転士は一度他社(京成)の施設、および電車と線路を使って教習を受けるということになる。自社で研修所を持たない鉄道会社も多いため、他社で教習を受けることは珍しくない。車掌や駅員も同様に現地で研修を実施している。
なお以前は東葉高速鉄道の運転士養成も受託していたが、同社が委託先を他社に変えたので現在は受託していない。所内には3500形と3400形のシミュレータが存在する。
なんというか、面倒見がいいというか・・・