戦後、沿線の下総台地にあった陸軍施設が軍隊解散とともに民間施設に転用された。中でも千葉・津田沼には鉄道連隊が設置され、演習線が津田沼を起点に千葉・松戸に延びていた。この演習線跡地に目を付けた京成電鉄は下総電鉄を設立して、連合軍総司令部 (GHQ)・運輸省への払い下げ交渉を開始した。西武鉄道との激しい競合の末に1946年3月に転用許可を、8月には路線免許を獲得。10月には新京成電鉄(下総電鉄を改称)を創立して新線開業を押し進めることとなった。
また、交通統制が緩んだこの時期に東京の電鉄各社は都心延伸の免許申請を行った。しかし、電鉄各社や営団、東京都との利害が輻輳し、京成でも1950年8月に押上 - 有楽町間の免許申請を行ったものの、1957年6月運輸省の行政指導で「地下鉄網の建設・運営は『営団』『東京都』が担当」「各電鉄は地下鉄に相互乗り入れ運転」の方針が決定される。京成電鉄は京浜急行電鉄とともに東京都が担任する1号線(現・浅草線)に相互乗り入れすることとなったが、京成 - 京浜急行では軌間の違い(京成1372mm/京浜急行1435mm)が最大の問題となった。
この時期はまだまだ直通運転とか相互乗り入れが始まったばかりだからなぁ。