創業時から兼業として電灯電力供給事業、その後バス事業や土地分譲、谷津遊園の開設などが行われていたが、昭和恐慌での経営不振の打開策として東京電燈から千葉県及び茨城県の一部の電灯電力供給事業を譲受すべく交渉。1934年11月9日に当事者同士での契約調印がなされたが、監督官庁の逓信省が認可しなかったため不成立に終わった。

しかし資金・人材の手当は済んでいたこともありここから積極的な兼業展開を展開することとなる。1936年には幕張に畜産加工工場を設立して精肉・加工肉製造販売(「京成ハム」・「京成ソーセージ」などのブランド)や「京成シミトール」(胃腸薬)などといった薬品を直営で販売(大手私鉄が食品業・薬品事業を行ったのはこの社のみであると思われる)。

1938年には帝都タクシーを設立、梅鉢車輛(後の帝国車輛)の系列化。1943年にはセレベス開発鉄道を設立した。これ以外にも百貨店経営・株式会社大日本東京野球倶楽部(東京読売巨人軍の前身)への出資(筆頭株主であった)などが行われていた。


電車のほかにも食品なんかもやっていたとは驚きです。

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