東京側のターミナルとなっていた押上は、京成開業後発展していたものの、都心へは市電の乗り換えを必要とし、必ずしも便利とは言えなかったため都心部延伸を目指して1923年以降上野・浅草への特許申請を6回繰り返した。

しかし、当時の東京府東京市に存在した市営交通市営主義の厚い壁や、同じ頃業平橋から浅草延伸を計画していた東武鉄道との競合が絡んで事態は複雑化、1928年9月に京成電車疑獄事件が発覚して社長・専務ら会社幹部が逮捕される事態となり、結果的に浅草延伸は断念に追い込まれた。


いまでは上野から乗れますが・・・
これも昔こういうことがあってこそなんだね。

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