京成パンダ(けいせいパンダ)は、京成電鉄が発行するクレジットカード「京成カード」のマスコットキャラクターである。

PASMOの導入に合わせて発行を始めた、
同社のクレジットカード「京成カード」の宣伝役として登場した。

パンダ星の王子という設定。
変わらない表情、細い目、パンダらしからぬ唇、マント(空も飛べる)が特徴である。

また、京成線車内の「ドアにご注意」ステッカーにも京成パンダが登場し、ドア戸袋に手と耳を挟まれている京成パンダが描かれているほか、2009年5月から11月30日まで「京成パンダ号」と称したラッピング電車(京成3000形電車を使用)が運行されている。

京成電鉄のマスコットキャラクター。
かわいいかどうかは...ちょっとビミョーな感じもします。

京成電鉄では、『京成らいん』という広報小冊子を毎月発行しており、
京成電鉄各路線のすべての駅において専用スタンドに置かれている。
1951年「京成文化」という題名で創刊。その後「京成ライン」を経て「京成らいん」と改題。
当初は有料で販売していたが、現在は無料配布している。
2008年2・3月号で通巻第600号を数えている。沿線案内や京成グループ各社のPRだけではなく、
京成沿線にゆかりのある有名人・文化人などのインタビューコーナーもある。
現在では京成電鉄ホームページからも最新号およびバックナンバー(ただし過去7号まで)をFLASH形式で閲覧することができる。

ちなみに登場した有名人は、
猫ひろしさんやにしおかすみこさんなど。
また、毎号さまざまな企画があって読み応えもあります。

経営危機に陥った1970年代後半に、運輸省(現在の国土交通省)出身の佐藤光夫が社長に、
日本興業銀行出身の村田倉夫が副社長に就任し、
それ以来ごく最近まで運輸省のOBや銀行出身者が経営に参画し、
事実上の国家管理・銀行管理となっていた(厳密には国家管理ではない)。
これは、不動産投資の失敗や石油ショック後の不況、成田空港関連の先行投資負担(及び開港の遅れによる損失)が重なって破綻寸前に追い込まれたためである。
上野の京成百貨店が撤退したことや谷津遊園を閉園したのもこの影響である。
なお、現在は経営再建に成功している。

官僚や役所とつながっていると、
癒着とかって言われますけどね、今は。
昔はそんなにうるさくなかったように思います。

京成電鉄では行商の人のために「行商専用車」を運転している。
かつては専用列車が数往復していて、一部に押上発着もあったが、現在は芝山千代田発京成上野行普通列車(第736列車)のみの運行となっている。
専用車は6両編成の最後尾の1両が充てられ、この車両には一般の旅客は乗車できない。
ただし、稀に行商組合で定められた休日のみ当該時刻の列車であっても一般客に開放される。
運用は6両固定すべてが入り、最新の3000形も「行商専用車」の札を横窓に下げ、5両目と6両目の間の貫通扉にも札を下げている(同様の目的を持った列車としては、近畿日本鉄道で鮮魚の行商人専用に列車を貸し切っている鮮魚列車が存在する)。

女性専用車とかは普通にありますが、
行商専用車というのもあるのですね。ちょっと独特な感じです。

戦後、沿線の下総台地にあった陸軍施設が軍隊解散とともに民間施設に転用された。中でも千葉・津田沼には鉄道連隊が設置され、演習線が津田沼を起点に千葉・松戸に延びていた。この演習線跡地に目を付けた京成電鉄は下総電鉄を設立して、連合軍総司令部 (GHQ)・運輸省への払い下げ交渉を開始した。西武鉄道との激しい競合の末に1946年3月に転用許可を、8月には路線免許を獲得。10月には新京成電鉄(下総電鉄を改称)を創立して新線開業を押し進めることとなった。

また、交通統制が緩んだこの時期に東京の電鉄各社は都心延伸の免許申請を行った。しかし、電鉄各社や営団、東京都との利害が輻輳し、京成でも1950年8月に押上 - 有楽町間の免許申請を行ったものの、1957年6月運輸省の行政指導で「地下鉄網の建設・運営は『営団』『東京都』が担当」「各電鉄は地下鉄に相互乗り入れ運転」の方針が決定される。京成電鉄は京浜急行電鉄とともに東京都が担任する1号線(現・浅草線)に相互乗り入れすることとなったが、京成 - 京浜急行では軌間の違い(京成1372mm/京浜急行1435mm)が最大の問題となった。

この時期はまだまだ直通運転とか相互乗り入れが始まったばかりだからなぁ。

正式名称に自社名を冠する駅名(京成○○)の数は鉄道会社の中でも多い。

以下列挙すると、上野、関屋、高砂、小岩、八幡、中山、西船、船橋、津田沼、大久保、大和田、臼井、佐倉、酒々井、成田(以上本線)、曳舟、立石(以上押上線)、金町(金町線)、幕張本郷、幕張、稲毛、千葉(以上千葉線)。

京成上野、京成船橋、京成成田といったようにスカイライナー停車駅でも、半数は「京成○○」の正式駅名である。

・・・たしかに「京成」ってつく駅名多かったかも。

宗吾参道駅近くに京成電鉄研修所があり、乗務員の養成などの研修を行っている。自社の電車運転士の教習を行うほか、有料で他社の電車運転士の養成も受託しており、新京成電鉄や北総鉄道など京成グループの運転士も養成している。従って京成グループの運転士は一度他社(京成)の施設、および電車と線路を使って教習を受けるということになる。自社で研修所を持たない鉄道会社も多いため、他社で教習を受けることは珍しくない。車掌や駅員も同様に現地で研修を実施している。

なお以前は東葉高速鉄道の運転士養成も受託していたが、同社が委託先を他社に変えたので現在は受託していない。所内には3500形と3400形のシミュレータが存在する。


なんというか、面倒見がいいというか・・・

京成AE100形電車(けいせいAE100がたでんしゃ)は、1990年(平成2年)6月19日から運用を開始した京成電鉄の特急形車両。運用開始当時は「ニュースカイライナー」とも呼ばれていた。

2代目の「スカイライナー」用車両として1993年(平成5年)5月末までに8両固定編成7本の計56両を新製し、AE形を置き換えた。なお、初期に落成した2本は既存のAE形8両編成化に伴う不足分として新製し、後の5本はAE形の代替として新製された。

「スカイライナー」「モーニングライナー」「イブニングライナー」で運用されている。

京成スカイライナーというと、
この車両を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

創業時から兼業として電灯電力供給事業、その後バス事業や土地分譲、谷津遊園の開設などが行われていたが、昭和恐慌での経営不振の打開策として東京電燈から千葉県及び茨城県の一部の電灯電力供給事業を譲受すべく交渉。1934年11月9日に当事者同士での契約調印がなされたが、監督官庁の逓信省が認可しなかったため不成立に終わった。

しかし資金・人材の手当は済んでいたこともありここから積極的な兼業展開を展開することとなる。1936年には幕張に畜産加工工場を設立して精肉・加工肉製造販売(「京成ハム」・「京成ソーセージ」などのブランド)や「京成シミトール」(胃腸薬)などといった薬品を直営で販売(大手私鉄が食品業・薬品事業を行ったのはこの社のみであると思われる)。

1938年には帝都タクシーを設立、梅鉢車輛(後の帝国車輛)の系列化。1943年にはセレベス開発鉄道を設立した。これ以外にも百貨店経営・株式会社大日本東京野球倶楽部(東京読売巨人軍の前身)への出資(筆頭株主であった)などが行われていた。


電車のほかにも食品なんかもやっていたとは驚きです。

日暮里 - 筑波に鉄道敷設免許を有していた筑波高速度電気鉄道を東武鉄道との競合の末に、1930年10月21日吸収合併、その免許を利用する形で翌1931年12月19日青砥 - 日暮里間、1933年12月10日日暮里 - 上野(当時・上野公園)間を開業。念願であった都心延伸を果たした。

また日暮里 - 上野間は上野公園下の地下線となったが、これは東京の郊外電車としては初のケースとなった。

この頃、1928年4月7日には白鬚線(向島 - 白鬚間)を開業。白鬚橋を渡って三ノ輪橋で王子電気軌道と結ぶ計画もあったが、上野延伸と引き換えの形で1936年2月28日に廃止された。

筑波高速度電気鉄道というとつくばエクスプレスを思い浮かべてしまいます。
秋葉から乗れるんですよね。